3冊目。世界の歴史がたった2時間でわかる本 

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<印象に残った部分>
北朝鮮問題にしても、チベット問題にしてもパレスチナ問題にしても、その歴史的背景を知っているかどうかで理解のレベルはまったく違ってくる。

700万年前に人類の祖先が出現。化石発掘技術の発達でより古い猿人の存在が証明。狩猟・漁労から農耕・畜産へ。獲得経済から生産経済へ。

人類最古の都市国家、シュメール人によるメソポタミア文明。文字を発明。記録が可能に。ハンムラビ法典、目には目を、歯には歯を。復習が認められていたのは被害者が加害者以上の身分だった場合のみで、ハンムラビ法典は厳格な身分制度を背景としていた。

エジプト文明。エジプトはナイルの賜物。ナイル川が毎年氾濫し肥沃な土壌を運び豊かな農耕地に。

ユダヤ教。多くの預言者が「この世の終末に救世主があらわれ、ユダヤ人のみが救われる」と説いた。のちにキリスト教、イスラム教へと発展。

インドの階級制度であるカースト制度は古代インドに侵入してきたアーリア人によって作られた。仏教の開祖となったガウタマ・シッタールタがカースト制度を否定。尊称で仏陀と呼ばれた。

東西にわたる世界規模の大帝国を築きあげたアレクサンドロス大王は各地の民族や風習を取り入れ、東西文化の交流をはかった。こうしてギリシアとオリエントの文化が融合して生まれたのがヘレニズム文化。ルーブル美術館にあるミロのヴィーナスもヘレニズム時代に生まれた。

史上ハンニバルとナポレオンのみが成功したといわれるアルプス越え。

ローマの軍人で政治家であるカエサルがエジプト遠征で出会ったのが、女王クレオパトラ。当時二十歳。夫との共同統治者となっていたが、夫とは不和でその地位は危うかった。そこでカエサルに近づく。監視の目をくぐり抜けるため自らを絨毯の中に巻き込ませてカエサルの部屋に忍び込んだとされる話は有名。数か国語をあやつる才女。ふたりは密接な仲になり、その後、夫を倒し女王の座につく。カエサルが暗殺されるが、アントニウスと親密な関係になり、多くの領土を与えられ東方の女王として君臨。しかしローマのオクタヴィアヌスに負け、ふたりで自殺。エジプト王国はローマの支配下に。

キリスト教徒は皇帝崇拝を拒んだ。そこでローマ帝国はキリスト教徒を弾圧。だがキリスト教徒はカタコンベという地下墓所で集会を開くなど迫害に耐える。コンスタンティヌス帝は拡大を続けるキリスト教徒を迫害することは不可能だと考え、キリスト教の信仰を認める。392年にテオドシウス帝によって、キリスト教はローマ帝国の国教とされる。

人口が増加し農耕地や食料を求めたゲルマン人はローマ帝国に浸透。ゲルマン民族の大移動。476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国の皇帝ロムルスを追放。西ローマ帝国は滅亡へ。

教皇グレゴリウス7世は、聖職者の任命を皇帝が行ったことに反発し、ハインリヒ4世を破門した。当時ローマ教皇からの波紋は、皇帝の地位をあやうくすることを意味した。ハインリヒ4世はカノッサ城を訪れ、冬の城外で3日間素足で祈りと断食を続けて謝罪し、波紋を解除された。1077年のこの事件は「カノッサの屈辱」とよばれ、世俗の権力である皇帝よりも、宗教権力である教皇のほうが立場が強いことを示した。

キリスト教の聖地エルサレムをイスラム勢力が占領しているのは許せないという考えが広まり、7回に及ぶ十字軍の遠征が始まった。しかし失敗に終わる。十字軍内にはさまざまな利害関係が錯綜し、意思統一がはかれなかった。

ムハンマドの従兄弟・アリーとその子孫だけがカリフ(最高指導者)となる資格があるとする「シーア派」と代々のカリフを正統と認める「スンニ派」。シーア派はイスラム教徒の約1割。

古代ギリシア・ローマ時代の文化を復興させようという運動、ルネサンス。ルネサンスの主舞台となったフィレンツェにはメディチ家という有力なパトロンがいた。メディチ家の援助を受けて、フィレンツェの知識人たちは生活を心配することなく古典研究に打ち込めた

大航海時代。肉食中心だったヨーロッパ人にとって胡椒などは防腐剤として必需品だったがヨーロッパでは調達できなかった。進化した羅針盤によって航海術は大きく発達。

中南米のアステカ、インカ文明は16世紀、スペイン人によって滅ぼされた。アステカ文明は、先行のマヤ文明を継承し土木、建築、工芸に優れ、天文についても高度の知識を持ち、精巧な暦をつくっていた高度な文明だった。

絶対王政。商業はさかんに→貴族は商業を行っていなかったため没落→国王が貴族を地方官僚として雇うかわりに土地を献上させる。大商人たちは貴族などの地方領主からさまざまな制約を受けていたため、国王を支持。国王は大商人たちに商業的な特権を与え、多額の税金を納めさせる。

ハプスブルク家は、政略結婚を活用し抜き、戦うことなくヨーロッパのほぼ半分を手中に収めた。

日の沈まぬ国、スペイン

工業生産の機械化にともなって起きた経済・社会の大変動、産業革命はなぜイギリスで起こったのか?
①大西洋の覇権を握っていた
②工場制手工業が発達していた
③ニュートンなどによる科学の発達
④農業経営の大規模化
⑤鉄や石炭の資源が豊富

ナポレオンの出現は世界に計り知れないほどの影響を与えた。ナポレオン法典は、万人のほうの前の平等、信教の自由、経済活動の自由など近代的な価値観を取り入れた初の成文法。

第一次世界大戦の勃発の背景には植民地の獲得競争を繰り広げる列強各国の利害が世界中で対立し、また各国が複雑な同盟・対立関係にあったことがあげられる。

第一次世界大戦は、工業化、資本主義化が遅れていたロシアを最も痛めつけた。1917年、ロシアでは食料を求める主婦たちの暴動をきっかけにして革命運動が広まった。ロシア帝国があっけなく倒れた最大の理由は脆弱な経済産業力では総力戦に耐えられなかったことにある。

第一次世界大戦では、ヨーロッパが戦場になったことで、アメリカはヨーロッパへ軍需物質、工業製品、農作物を大量に輸出し、莫大な利益を得た。しかし戦後、ヨーロッパの産業が徐々に復興してくると、市場に工業製品や農産物があふれるようになった。


つ、つかれた…。2時間じゃわかりませんって!それとも私が遅いだけでしょうか?

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Author:アンディ
酒を飲むと、やっとものが言えるようになる重度のコミュ障。生きづらいです。夜に酔っ払いながら書いているので、内容や文体が支離滅裂になることがあります。

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