パンのための仕事

仕事が好きなわけがなく、嫌い。やりがいも感じたことはない。生活のための仕事。明日のパンを得るための仕事だ。こういう人間が大多数だと思っていたが、実際はどうなのだろう?実は少数派なのではないかと今日思った。楽しいと言い切れるほどではないが、楽しいと感じることは時々ある。こういう人間が多いのでは?働いてる人らを見るとそう思わざるを得ない。自分の職場だけでなく、たとえばショッピングモールを歩いていると多くの店があり働いてる人も多く見かけるが、みなそのように見える。もちろん接客業なら無愛想にはできないし、笑顔も意識して作っているだろうが、それを計算に入れてよく観察して見ても、やはりそう見える。いや、もしかしたらこういう考えもある。プライベートが充実しているため、たとえパンのための仕事でもそこまで憂欝にならない。次の休みの日を思い描きながら、まあ恋人がいるなら、その恋人とのデートを想像し、それをエネルギーに使っている。ときによってはこの恋のエネルギーはパンのカロリーよりも体に効くものだ。プライベートの充実。なるほど、もしかしたらこれが過半数を占めているかもしれん。ところで俺のプライベートは死んだも同然、パンだけでやっていくしかなさそうだ。
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死ぬまでサラリーマン、希望の人口知能

 今の20代は年金がもらえないだろうといわれていますが、となると働かなければならない期間も伸びるでしょう。私の勤めている会社でも70代の方が2人もいます。自分らは死ぬまで働かなければならなくなるかもしれません。私は24歳ですけれど、それを考えると生きる気力が消えてなくなりますね。うまく貯金できれば大丈夫かもしれませんが、やはり収入がなくなるというのは不安ですし、その不安がなくなるほどの大金を老後に残せるような経済力がある人は少ないでしょう。収入が並みでも徹底的に節約して貯金すればある程度大きな額が貯まるかもしれません。ただ、老後の生活のために若い時期を節約で質素に過ごすというのも悲しいじゃないですか。

 しかし最近、人工知能が発展し今の仕事の8割にとってかわると聞いて、逆に働かなくていい世の中になるのではないかと思いはじめました。多くのサラリーマンは嫌々働いているでしょう。通勤時の電車に乗ってみんなの顔を見ればわかります。だとしたら人工知能が代わりに働いてくれる社会はみなの理想ですよね。日本が世界でも飛び抜けた人口知能の技術を持つ国になることを願ってやみません。
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リスクとリターン、安定した生活

人生をどういう風に生きていくのが良いのか。人によって千差万別なので、自分がどういう人間かを観察、分析することから始めなければ、と思い古典小説や哲学書を読み始めて約2年。いまだに何もわかっていない。ただもうどうにでもなってしまえ、という精神状態になった。今の職も給料が低く、昇給もまったく期待できない。業界自体、同業者がどんどん倒産しているような状況。しかし自分のコミュニケーション能力的に、また新卒採用を逃した時点で転職は難しい。いや、もちろん選ばなければ転職はできる。なんならいっそのこと職を転々としようか?これは面白い考えだぞ…!これは一般的にリスクが高いと思われる行為だが、先ほど言った通り今の私は、”どうにでもなりやがれ!”この状態なので、つまり失うものもないし、プライドもないのです。なんならそういうリスクを負った生き方も十分に可能だし、むしろリスクを負った生き方のメリット、大きなリターンが得られるかもしれない。

多くは大卒新卒で大きな企業、安定した業界、公務員に就職して、給料も良く、安定した生活を求める。なぜ安定を求めるか?今の生活が充実しているので、それを壊したくないからだ!また友達、とくに恋人がいる場合は安定を強く求めるだろう。結婚を考えている場合はなおさらだ!私にはない!なにもない!これはとても悲惨な人生に思えるが(実際にそう)見方によってはチャンスかもしれんぞ!転職を繰り返しているだけでは勿論大きなリターンなど得られる見込みはないが、起業などはまさに大きなリターンを得るためにリスクを負った生き方の代表でしょう。結婚を考えている彼女を持つサラリーマンの男に起業などできようか?(よし!この点では私の勝ちだ!万歳!)幸い日本ではどんなに落ちぶれても国が生きるのに最低限の生活は保障してくれる。つまり飢え死にすることはないわけだ…!(書きながらふとホームレスのことが頭に思い浮かんだ。ホームレスは生活保護を受けられないのか?だとしたら私もホームレスになる可能性も…。ええい、今度調べてやる!)まあ今日はこんなことを主に考えてた。起業か。頭の片隅にでも置いておこう。
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労働と適正

私は工場で働いています。理由は人と話すことが苦手だからです。もちろん工場でも人と話さなければ仕事になりませんが、少なくともお客さんや取引先の人たちと話すことは避けられます。接客業で働いていたこともありましたが、売り場にいる間は生きた心地がしませんでしたし、休憩中や仕事が終わって家にいるときも不安でいっぱいでした。やがて不安は不眠に繋がり見事に体を壊したというわけです。やはり人には適正というものがあります。「石の上にも3年!」なんて関係ありません。やはり合わない、それも体調に支障をきたすほどのものなら、すぐに辞めるべきだと思います。接客の仕事は、ほんとすぐ辞めてしまいましたが、今の工場の仕事は今年で2年目で、今後も続けられそうです。我が人生の中で数少ない「正しい判断」だったと思います。いや、そう思いたいです。
 ちなみに中学時代に野球部に入部し、途中でやめる勇気もなく、無理に最後まで続けたのは、人生で最大の判断ミスです。野球の腕に関しては3年間試合に1回も出れなかったほど下手くそで、まわりの体育会系のノリについていけなくて友達が1人もできなかったのです。
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プロフィール

アンディ

Author:アンディ
酒を飲むと、やっとものが言えるようになる重度のコミュ障。生きづらいです。夜に酔っ払いながら書いているので、内容や文体が支離滅裂になることがあります。

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